人生崖っぷち、絶望、八方塞がりという言葉があります。
今までの順調な流れが一瞬で逆転し、憂き目を見る出来事。
大病に事故、失職や失恋、離婚、死別、火難、水難、詐欺、盗難、横領、殺傷、刑罰、大失敗、自殺など
挙げればキリがないほど、大なり小なり、この世には人の心を粉々にしてしまうほどの厄災が溢れています。
人はこれらの危機に直面し、なんとか踏ん張ろうとしますが、
不幸という名の運命の濁流は人を飲み込み、これでもかと痛めつけてきます。
好転しない、悪い方向にしか進まない。
当たり前なのです。
だってあなたはまさに今、人生の濁流に飲まれ、もがいている状態なのだから。
もうだめだ、生きていても良いことはない、消えてしまいたい、
打ち砕かれた心、折れた心は肩を落とさせ、深く頭を垂れさせます。
こうなるともう呼吸の浅い、虫の息です。
こんな状態を、人は絶望や崖っぷちや八方塞がりと呼びます。
泥を飲み、傷つき横たわっているボロボロの状態。
持てるものを全て失い、あるのはこの身一つだけ。
振り出しに戻った、もしくはそれ以下の悲惨な、
濁流の渦の外に放り出され、岸辺に打ち上げられた瀕死の状態です。
ですが、ここで気付いて欲しいのです。
例え虫の息でも、あなたは濁流の中から生還したのだということを。
生還した人はいずれ必ず復活します。
何故でしょう?
それが人生だからです。
濁流のような悪い気の流れは必ず変わります。
変えられます。
絶望の今ここから、あなたの復活劇は始まっていて、
あなたを襲った不幸はやがて土台となり、必ずあなたを飛躍的に発展させるということを覚えていてください。
問題解決にむけてやるべきと思ったことをやり、万策尽きたらなら、
無理せず時を待ちましょう。
天に昇る時を待つ、深い谷底に伏す龍のように。
復活の時をじーっと待つのです。
絶望からの脱出
復活するために、まずは突破口を開かなければなりません。
それは、
人生は、はなっから、クソであるということ知ることです。
絶望、崖っぷち、八方塞がりの不幸に浸りきり、思う存分苦しみ、涙も枯れはて、堕ちるところまで堕ちてしまったなら、斜に構え、はすっぱに、こう小さくつぶやきましょう。
「人生は、クソやね」
そうなのです。
元々、人生とはクソなのです。
この世はまさに苦娑婆といわれる、人が苦しむために用意された世界です。
だから、今あなたに起こっている苦しすぎる出来事は、
あなたが苦しむために、元々あなたの人生に組み込まれ、用意されていたクソなのです。(復活すればそれは後に学びと呼ばれます)
誰も逃れることなど出来ない。
受け入れるしかない。
だから、
絶望、崖っぷち、八方塞がりだと感じたら、
じたばたせずに、堕ちるところまで堕ちてしまいましょう。
どん底に堕ちれば、後は這い上がるしかなくなります。
堕ちることは悪いことではありません。
何故なら幸運は、気の上昇とともにやってくるものだからです。
そして気は谷の底が深ければ深いほど高く上昇します。
いずれあなたは、その上昇気流に乗って真の幸福へと向かうことになるでしょう。
だから受け入れましょう。
絶望や崖っぷちや八方塞がりや万事休すな現状を。
「人生はクソ」
そう吐き捨てれば、やけっぱちな気分になってきます。
それでいいのです。
クソ真面目に、いつまでもうじうじ反省したところで、現状は所詮クソですから。
あなたは菩薩ではありません。
泣いてわめいて理不尽に腹を立ててもかまわないのです。
「えーい!どうにでもしろ!」
この開き直りの精神が突破口となります。
このやけっぱちこそが、絶望から脱出するためのスタートキーなのです。
脱出には勢いが必要。
怒りは負の感情であり、本来忌み嫌われるものですが、時としてそれは風穴を開ける原動力となります。
毒を以って毒を制す。
ふつふつと湧く、自分に起こった儘ならない出来事に対する怒りにも似た感情は、自分を挑発し、自分を鼓舞してくれる味方です。
今でも昔でもいいから世間をよく見てください。
クソな出来事で溢れていることに気付くことでしょう。
戦争や事故や災害や大病などの死の絶望を抱くほどの悲惨なものから、不倫騒動のようなくだらないものまで盛りだくさん。
あなたが知らないだけで、
今、この時も、あなたと同じ、もしくはもっと想像を絶するほどの
艱難辛苦に対峙し、苦境に耐えている人が大勢います。
そしてどんな不幸事も、渦中の人にとっては自分を殺すほどの大事件であり、他人にとっては、所詮下世話な他人事なのです。
あなたの絶望も、他人にとっては所詮他人事。
同情こそすれ、その人はすぐに自分の人生に戻り、自分のための思考をするでしょう。
同じように苦しんでくれはしないのです。
本当のあなたの苦しみなど、理解できるはずはありません。
だから、これからあなたがどんな生き方をしようが、他人は関係ないのです。
生真面目である必要もないし、人の目を気にすることもない。
変に責任感など持たなくてもいいし、こうしなければならないということもない。
泣いたり怒ったり感情を正直にだせばいいし、常識に捉われる必要もない。
未来への不安など考えず、他人のことなど考えず、
過去の自分と比べることもせず、迷惑をかけるなどと思わず、
ただ自分の心にだけ従いましょう。
どうなりたいのか。どうあればあなたは幸せか。
絶望の時だからこそ、真の願望が見えるはずです。
考えてみてください。
人生なんて儚いものです。
ただの時間です。
栄華を誇った平家でさえ、塵に同じと詠われているではないですか。
みんないずれ死ぬのです。
50年後なのか、10年後なのかは分かりませんが、あなたも必ず死にます。
どうせいつかは死ぬ。
それは明日かもしれない。
明日命が尽きるかもしれないのに、何を怯えることがあるのでしょうか。
自分が望む真の幸せを、クソごときに潰されてはなりません。
残された時間を、根拠なく強気で生きようではないですか。
誰にどう思われようと構わないではないですか。
どうせはなっから人生はクソなのだから。
「人生はクソである」
強い気は、人生を好転させます。
絶望という重苦しい気持ちが、ふっと軽さを感じたら
もうあなたは脱出の時にきているのです。
ここからあなたの復活劇が始まります。
大丈夫。
朝のこない夜はない
そして夜明けは絶対にあなたを見捨てない。
信じて立ち上がりましょう。