死ぬ前に撤退せよ 撤退は逃げではない 戦略である

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絶望からの脱出
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人生にとって本当に必要な仕事などなにもない Henry David Thoreau

 

この世に死ぬほどまで頑張る必要など、元よりありません。

人は何故生まれるのか。

生きるためです。

生き物は生命を全うし、やがて死にます。

人にはそれぞれ、生まれてきた意味がありますが、究極はこれなのです。

 

 

 

人も動物と同じように、生命の原理に従って、それは最も強い本能として常に生を志向しています。

何故あなたの体は、指を切れば傷を治し、腐ったものを食べれば吐き出させ、体内にウィルスが入れば高熱をだし、あなたが寝ている間も心臓を動かし続けるのか。

それは全て、あなたを生かすためです。

生かすため、あなたを助け、常に守ろうとしているのです。

 

ですが、人は時に、本能に逆らい自分を殺そうとします。

 

あなたの体は、常にあなたを守ろうとしているのに、助けようとしているのに、

あなたの魂と共にあり、どんな時も、あなたと共にこの苦娑婆を生き抜こうとしているのに、

 

可哀想ではないですか。

 

本当は、心も体と同じように、生を志向しているのだということを知りましょう。

心も生きたいのです。

 

死にたいと思ってしまうのは、あなたが、神の救援メッセージを受けとれていないからです。

受けとれない原因は、あなたが恐怖や怒りや悲しみといった様々な悪感情に支配されているからです。

 

あなたを守るのは、あなただけ。

親でも子でも友人でも上司でもないのです。

そして心を元気にするのは体であり、体を元気にするのは心です。

心身一体。

心が瀕死なら、体を使いましょう。

 

 

守るための撤退

 

ひとまず引くのです。

必死になって苦しむのはやめましょう。

動物は、自殺という考えをもちません。

死ぬ時は、命が尽きるのを待つのみです。

ただ本能に従い、最後の最後まで生を全うしようとするのです。

 

生き物の中で自殺をするのは人間だけです。

人は動物と同じ生き物でありながら、90%の潜在意識(眠らせている意識)と10%の顕在意識(日常使われる意識)を持ち、潜在能力の1%でも開発すれば天才の域に達するといわれるほどの能力を備えています。

 

神の法則と与えられし2つの能力
願望を叶え幸せになるための絶対法則② 神は、分け御霊の一つであるあなたが、この世で願望を叶え、幸せに生きるために、普遍なる法則を創りました。 あなたの願いは、全て叶えられるという神の法則(引き寄せ)です。 ...

 

 

それほどまでの知能をもつ人間だからこそ、高等生物として生き物の頂点に君臨し、便利でせわしく複雑な社会を創り上げました。

そしてその高性能ゆえに、破滅思考を増大させれば、自分を殺してしまうという生き物には有り得ない、生命原理に逆らう行為を、時にしでかしてしまうのです。

 

生きていれば悩みは尽きません。

人生の憂き目に逢い、もがき苦しみ、頑張るほどに追いつめられ、遂には心が折れてしまうのが人なのです。

ですが、同じ状況でも絶望から這い上がり、再起する人もたくさんいます。

 

絶望からの脱出「先ず人生はクソである」ことを知りましょう
人生崖っぷち、絶望、八方塞がりという言葉があります。 今までの順調な流れが一瞬で逆転し、憂き目を見る出来事。 大病に事故、失職や失恋、離婚、死別、火難、水難、詐欺、盗難、横領、殺傷、刑罰、大失敗、自殺など 挙げ...

自ら奮起して、苦娑婆を楽園に変える人たちがいるのです。

それは本能に従い生を志向するか、本能に逆らい死を志向するかの違いです。

 

 

 

日本は、先進国の中でも自殺率が高いといわれ、平成26でも年間2万5千もの自殺者がいて、男性が7割を占めています。

高齢者の健康問題や生活苦、40代50代の鬱病、統合失調症といった精神的な問題、多重債務、や経営難などの金の問題。

これらの原因は、本人だけにあるわけではありません。

真面目に努力してきた人ほど、人生がうまくいかなくなったとき、絶望するのです。

これほど理不尽なことはありません。

 

「死ぬ前に撤退せよ」

 

この世は苦娑婆です。

人の心をどん底まで追いつめる出来事、艱難辛苦が溢れています。

クソな出来事で溢れているのです。

そんなクソのために、あなたを常に保護している体を傷つけ、魂を殺し、死に至らしめるなど、絶対にあってはならないのです。

 

 

撤退です。

学校をやめてもいい。

仕事をやめてもいい。

病院から脱走してもいい。

山に篭って世捨て人になってもいい。

 

死の淵が見えたら撤退せよ。

撤退は逃げではありません。

新たな戦略を練るために休息の場へ移動する作戦です。

 

そうしたくてもできないと思うでしょうか。

学校をやめたら、親に心配をかけるからでしょうか
(転校も通信教育もあります)

仕事をやめたら食っていけないからでしょうか
(失業保険、生活保護、会社に勤めるだけが仕事ではありません。現代はPC一つで稼げる時代です。)

病院から脱走すれば、迷惑患者の烙印を押され入院拒否されるからでしょうか(転院や代替医療や新たな治療法の発見にも繋がります。)

山に篭れば孤独で、変人扱いされるからでしょうか
(変人上等、孤独は一番の贅沢です)

 

そんな他人や未来のことは、後から考えればいいのです。

死まで覚悟した人にできないことなどありません。

ひとまず撤退し、そこから活路を見出しましょう。

どんな状況でも活路を見出そうとすれば、必ず道は開かれます。

そして活路を見出すには、体を動かし、心を安全な場所へ連れて行くことです。

問題を生み出したときと同じ意識のレベルでは、その問題を解決することは不可能です。

撤退し、自分を守るのです。

 

ある小学生のお母さんが娘のいじめ問題に直面していました。

いつの時代もいじめというクソはあるものです。

娘は母親に心配をかけまいと小さな胸に辛い現実をずっとしまい込んでいました。

気付いたのは参観日に娘がはぶられているのを見たからです。

お母さんはそのいじめの原因の理不尽さに怒り、訴え、
変わることを願い、耐えましたが、何も変わりませんでした。

そして母は撤退を決めたのです。

転校です。

娘を守る撤退。

娘の意見を尊重し、転校しました。

それからしばらくして娘の顔つきはどんどん変わっていきました。

どんな時も笑うことのなかったうつろな目は消え去り、笑顔があふれていたのです。

 

 

人生に起こるクソな出来事、艱難辛苦は大なり小なり誰にでも起こります。

撤退が怖いでしょうか。

所詮クソな世の中なのに、撤退して何が悪いのですか。

言いたいやつには好きなように言わせておけば良いのです。

他人は何もしてくれません。

そして、本当の苦しみなど分かってはくれません。

無視しておけばいいのです。

 

 

人生は時間です

そしてその時間には、限りがあります。

誰もが自分には明日があると思っていますが、

明日が必ずやってくるとも限らず、

我々は、明日はこの世にはいないかもしれない身なのです。

今すぐ、死を選ぶ必要などないのです。

 

誰よりも不真面目になり、開き直り、

流れに任せて、動物のように自死を選ばず、その時を待てばいいのです。

その時がきたら、ただ死ねばいいのです。

撤退し、休息をとった後、活路を見出しましょう。

誰にも遠慮はいりません。

あなたを守るのはあなただけです。

不可能だと思わない限り、人間に限界などありません。

 

死ぬ前に撤退せよ。

 

撤退は逃げではありません。

活路を見出すための戦略なのです。

 

「人生にとって本当に必要な仕事など何もない。人生を無駄にしながら生きてはならない」Henry David Thoreau

僕たちはなぜこんなにもせわしなく、人生を無駄にしながら生きていかねばならないのか。まるで腹も減らぬうちから、餓死する覚悟を決めているようだ。「今日の一針、明日の十針」と言いながら、明日の九針を省くために今日千針も縫っている。仕事といっても、重要なものなど何もないのに。

 

不幸は願望への近道である
真の願望を曇らせる我欲 人生には、不幸な出来事が盛りだくさんです。 今日他人事のように聞いていた不幸が、明日は我が身であるのが人生です。 ですが不幸は、実はそう忌み嫌われるものではありません。 何故な...

 

 

 

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