不幸を二度と引き寄せないために①
何故、望んでもいないのに不幸が訪れるのでしょうか。
何故、いつまでたっても願望が叶わないのでしょうか。
それは、人が持つ高潔な心が関係しているということを知りましょう。
人は神の分け御霊です。
どんな人も高潔な心を持っています。
そして不幸を引き寄せるのが、この罪を許さぬ高潔な心なのです。
不幸の正体
生きていれば大なり小なり、誰しもが罪を背負っており、その罪は忘れたふりをしても、心のどこかに残っています。
人は、年を重ねるごとに、その精神性を高めていくもので、成長した分だけその心は高潔さを増し、当時は罪とも思っていなかった罪を断罪し始めます。
「こんなひどいことをした自分が幸せになれるはずはない」というように、幸せになることを許さないのです。
どんなに願望を抱いても、自分が無意識(潜在意識)にそれを否定しつづければ、叶うはずはありません。
そして遂には
「いつか天罰がくだるだろう」
「きっと同じ目に合うかもしれない」
と、自分で自分に制裁を加え始めます。
繰り返された思いは現実になる
不幸はこうして自分で引き寄せているのです。
この罪を、過ちを、断罪せねば幸せにはなれない、と禊をするために不幸を引き寄せてしまっているのです。
自分が他人に与えた痛みは、やがて自分に返って来るという恐れ(マイナスの想念)が積み重なった結果、現実に形をとって現われるのが不幸です。
それは怪我や病気や事故や失恋や離婚などといった様々な不幸な出来事として、あなたの身に起こります。
人はこれを因果応報と呼びます。
因果応報とは、良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるという仏教の教えですが、実はこれは神仏が与える天罰などではありません。
神仏は罰など与えはしません。
自分を処罰しようとする想いが、禊のために不幸な現象を作り出しただけにすぎないのです。
全ては、想いが先である
禊のための不幸な出来事は、 自分の高潔な心(潜在意識・真我)が引き寄せています。
だから不幸を恐れることはありません。
過去の罪や過ちを浄化するために起こったのですから、その不幸に向き合えば、結局は幸せになれます。
ですが、本当は、人生に不幸など必要ないのです。
あなたは、不幸になるためでなく、幸せになるために生まれてきたのですから。
自分を自分で罰するという考えは、根本から間違っている。
自分を処罰しようとする心の使い方は、必ず不幸を呼びます。
不幸などというものは本来、無用の産物であり、 願望は叶えるためにあるのです。
自己を断罪しようとする想いは真の幸せへと導かれる合図 不幸を二度と引き寄せないために②に続く