ここでいう世捨て人マインドとは、
人の世から離れた寂しい隠者などではなく、
世間の価値観に囚われず、何ら他に依存せず、
気楽に、愉しみながら、大らかに生ようとする心持ちのことです。
世捨て人マインドを持つには
命には限りがあるということを、思い出しましょう。
明日にはこの世から消えてしまうかもしれない我が身であるということを思い出し、限られた時を愉しみながら生きる。
家族も友人も恋人も、いつかは、肉体の死を迎えます。
この世という物質世界に、永遠はありません。
永遠なのは、あなたの中に存在する神と繋がる神の子=あなたの魂だけです。
魂だけが、墓場を超えて生き続けます。
魂の喜びの声に耳を傾けましょう。
生き方に拘らず、物や人に執着せず、
我欲を手放し、煩悩を削ぎ落とし、
心配事や悲しみや怒りや恐怖といった不要なものを背負い込まず、
潔く、この世の矛盾をおさめて、
魂の声に従って、悠然と生きる。
世捨て人マインドは、気楽を生み出します。
気楽とは、気(エネルギー)が自然体でスムーズに流れている状態のことです。
良いエネルギーに満ちれば、魂は輝きはじめ、本来の自分らしさを取り戻しはじめます。
今までの、凝り固まった考えや、偏った考えではなく、もっと大きな考え方、即ち神の理にかなった考え(理想)が生まれるでしょう。
気楽に生きることは、この世の負のエネルギーから解き放たれ、正のエネルギーに満たされ、本当の自分を知ることになるのです。
本当の自分を知れば、本当の自分をつくることができ、
世間の目や評判など気にも留めない、確固たる自分の世界観をもつことができます。
壺中天有り
俗世から離れた、自分だけの内面の世界、理想郷を持つことは、世捨て人マインドに欠かせません。
世捨て人マインドは、気楽に生きるということであり、
気楽に生きるということは、ただのんべんだらりと怠慢に過ごすことではなく、自分の人生を心から愉しみ、意義あるものにすることだからです。
夢中になれること、好きなことに対し、人は時を忘れ、一心に向かいます。
なぜでしょう。
そこには、魂の感動があるからです。
芸術でも哲学でも、スポーツでも、経済でも、どのようなものであれそこには、
魂の目的=あなたが五感を使い、能力を開発し、真の自我を顕現して奉仕する創造活動、あなたの存在意義があるのです。
自分だけの誰にも侵されることのない清浄な内面世界は、現世苦娑婆の中に生きる我々の心の救いとなります。
どんな境遇に置かれても、自分だけの理想郷、内面世界を持つことはできるからです。
世捨て人マインドで生きると楽になる。
人生が辛い、人生を愉しめていないと感じたら、
命には限りがあるということを、思い出しましょう。
気楽であれ。
我々は、神の子(魂の存在)です。
現世物質社会にうんざりしたら、しばし霊的世界に身を置きましょう。
そうして叡智を受け取り、また、この苦娑婆を気楽に生きていくのです。